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2022.06.
03

トイレのお話①

土地

こんにちは!

 

金曜日ブログ担当の佐藤です。

 

今朝、相方の築山が隣で水道管について調べておりました。

 

合流式、分流式の2種類の下水があるのですが、なかなか現地を見るだけではわからないのです。

それにまだまだ和歌山では浄化槽エリアもたくさんあります。どちらも生活をするには問題無いのですが深堀していくと日本人の歴史と密接に関わっていて面白いんです。

 

 

さて、そんな今朝の一コマですが

 

遠い昔の大学の授業を思い出しました。

 

ズバリ「トイレの話です」

 

この暑い最中に便所の話かいな~!

 

と言われてしまいそうですね笑

実際自分も思っておりました。

 

ちょっと長い話になると思いますので分割してお届けしたいと思います。

 

 

トイレを表す厠(かわや)という古語があります。

この厠(かわや)語源が諸説あって面白いのです。

 

  •  川屋説
    川に穴の開いた小屋を建てて流していたので川屋(かわや)→厠
  •  側屋説

母屋の近くに離れを建ててそこで用を足していた。

側(かたわら)の建物を意味してかわや→厠

  •  高野説

高野山に水洗便所があり、その名称から「こうや」→かわや→厠

※平安時代から高野山では豊富な水量を利用して水洗便所があったそうです。
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/081000/shin/osuitoha.html

 

他にも色々あったと思うのですが私の記憶にはもう御座いません、流れていってしまいました(笑)

 

 

失礼いたしました・・・

 

 

平安時代にすでに水洗便所があったというのは驚きですね。

自分も最初に聞いたときには「すげぇな高野山」と思ったものです。

 

都の方ではどうなっていたかと言うと・・・

古語の通り

川の傍に建てた小屋でしたり

家の傍に建てた小屋の中でしたり

茂みの中でしたり

貴族は使用人に川まで捨てに行ってもらっていたそうです。

 

当然、川や池の水は飲めたものではなく、度々疫病に見舞われることになります。

下水政策の失敗から何度も遷都が行われたという説はよく語られていますね。

(お墓の位置から発生したという説も多いですね。 これも諸説アリです)

 

ここまでは 糞尿=穢れ(悪いモノ)という時代でした。

 

中世・近世へと時代が下るにつれて、肥料としての価値がグンと上がることになります。

すると、一時的に溜めておいて、人力で回収する汲み取り式のトイレが普及するようになります。当然河川への放流が行われる事は無くなるわけですから、水はキレイなままですね。

※参考 https://www.mlit.go.jp/crd/sewerage/rekishi/01.html

 

 

近代まではトイレ=汲み取り(ボットン)というのが当然だったんですね。

し尿を微生物に分解してもらい、肥料として利用する。という循環が出来ていました。

 

 

糞尿=価値資源 という価値観が形成されていったのです。

 

さて、ここまであまり不動産に関係の無い内容になってしまいました(笑)

次回ももう少しだけトイレの歴史を深めていきます。

 

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