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2021.11.
02

「太閤下水(たいこうげすい)」

土地

その他

コロナ禍がいまだ収束しない昨今。

 

しかし、振り返れば人類の歴史は、

いつの時代も感染症との戦いでした。

 

感染症が止まない原因は明白です。

人類の過密化=都市化が大元です。

つまり、

都市化の歴史=感染症の歴史なのです。

 

ですから「衛生対策」

大昔からずっと、世界中で、

都市計画の1丁目1番地です。

 

そんな衛生都市の歴史を

身近に感じることが出来る史跡が、

大阪市のど真ん中にあります。

 

通称「太閤下水」と呼ばれるものです。

大阪市中央区~西区にかけて、

地下に暗渠が約7㎞残っています。

 

420年ほど前に豊臣秀吉の都市計画で

造られた下水道施設です。

「背割り下水」の別名もあって、

全ての街区の境目に計画されました。

(現在の区割りもほぼ当時のままです)

 

現在の正式名称は、

「中央部下水道改良事業の下水道敷」

といいます。

長ったらしく堅苦しい名前です(失笑)

 

しかし、です!

こんな名前なのには理由があります!

実はなんとこの下水道、

今も実用されているのです!

(生活排水用の下水です)

 

日本で最初の近代下水道事業は、

豊臣・徳川時代由来の施設を

明治時代に改良して造られた

この下水道でした。

(だから「下水道改良事業」なんですね)

 

そんな「太閤下水」の公開施設が、

市立南大江小学校の西側にあります。

いつでも上から覗けますが、

事前に申し込むと

地下の見学施設も見学できるそう。

 

今現在、

コロナ禍に対抗している時も

私達の最大の武器になっている施設が、

そんな大昔に計画されたものを

基にしているだなんて、

歴史のロマンを感じませんか?

 

先人の知恵と努力に大感謝です。

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